ビットコインの価値から考える、現代生活の「今そこにある危機」

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アメリカのCMEやCBOEでの先物上場を控え、ビットコインの価格が高騰しています。そのためか、ビットコインのニュースを毎日のように一般紙などでも目にするようになりました。最近では金融界の方々を中心に、「ビットコインは無価値だ」という主張を見聞きすることがあります。

ビットコインは無価値?

そこで突然ですが、皆さん、ビットコインの価値って、何だとお考えでしょうか?なぜ、多くの人々がこぞって買い集めてるのでしょうか。

私の知人で、「送金手数料も高く、使い勝手も悪い電子のゴミに、価格がつくわけがない。いつかこのバブルは弾けて壮大なババ抜きが始まる」と主張している方がいます。しかもこのように主張されるのは、1人や2人ではありません。これは本当でしょうか。バブルの崩壊説はさておき、ビットコインは「電子のゴミ」なのでしょうか。

ビットコインが持つ価値はいくつかありますが、最も大事で、ある意味、破廉恥で革新的な点は、「第3者による信用の担保がなくても、価値の保存や交換が出来ること」だと考えます。

「第3者が不在でも稼働する」

これが大事です。なぜ大事なのでしょうか。少し飛躍しますが、今は身近となった、ガリバー企業群であるAGFAのサービスを通して考えます。

肥大化するAGFA

AGFAとは、Apple, Google, Facebook, Amazon、の頭文字を取った言葉のことです。

彼ら無しでは生活が回らないというところまで広く浸透し、我々一般人の生活を支えています。スマホでポチッとクリックすれば、欲しい商品を簡単かつ迅速にAmazonで入手できますし、聞きたい音楽はApple musicからダウンロードできます。ちょっとした調べ物なんかはGoogleで簡単に検索出来ますし、友人の近況はFacebookやinstagramで立ち所に把握出来ます。

最近では、各社が人工知能と連携した音声認識のサービスを開発し、スマホやPCからではなく、専用スピーカーからの音声入力を通して操作するという新しい体験を提供しています。

クラウドベースのAIである「Alexa」と連携したスマートスピーカー「Amazon Echo」
音声認識と自然言語処理により、オーナーの「声」を聞き取り、その日の天気予報を答えたり、Amazonに発注を指示する事が出来るとされる。

これらの素晴らしく便利なサービスは、無償、あるいは低価格で提供されています。ただし私達のプライバシーデータと引き換えに。

AGFAはプラットフォーマーの優位性を生かし、個人個人の膨大なデータを収集し、時には外部の企業とデータを連携して、日々サービスの改善に磨きをかけています。

例えば、WEBの広告が分かりやすいですね。Googleで検索したwordに紐づいた広告が、同じ端末でアクセスしたFacebook上で表示される、といった経験はどなたでもお持ちかと思います。ターゲットに対し、狙い撃ちで広告が打たれています。40代男性のスマホ上のFacebookに表示されている増毛関係の広告が、20代女性のinstagramに表示されることは、まずありません。広告主がそんな無駄遣いを許さないからです。

WEBサイトに表示される情報の配置もそうです。例えばFacebookのタイムラインはパーソナライズ化されています。私達が、携帯あるいはPCで覗いているWEB世界は、それぞれ異なり、分断化されています。AGFAによって最適化され、各企業のマネタイズが最大化されるようコントロールされているのです。

サービス自体は便利ですし、役に立つ広告もありますから、全部が全部駄目とは言わないですが、良く良く考えたら、ちょっと怖いですよね。(やらないとは思うにしろ)AGFAがその気になったら、ちょっとした悪さが出来てしまいそうです。

AGFAは革新的で優れた企業群、というイメージがありますが、そのサービスを使うユーザーが「彼らを信用する」という前提が必要です。普段使っていると忘れがちですが、これって結構重要です。彼らが間違って私達の秘密の写真や動画、他人に知られたくない商品の購入履歴などを流出してしまったら、どうなりますでしょうか。考えるだけで非常に恐ろしいです。

プライバシーは個人のものだ

このように現在の便利な社会は、「大きなガリバーが信用を担保する」という世界観を前提として成り立っています。そして私達はガリバーを、一定の距離感を保ちつつも信用しています。信用が一極に集中しています。

しかしこれって、本来あるべき姿なのでしょうか。私達のプライバシーは、私達が管理し、第3者が自由に使って良いものではありません。少なくとも、私はそう思います。

格安で素晴らしいサービスを享受できることはありがたいことですが、大事なものを日々無くしている感覚に囚われます。嫌なら辞めれば良いですが、すでにどっぷり漬かっており、辞めることなど不可能です。多少のプライバシーの共有は許容し、ガリバーを信用し、彼らの日々の努力から産み出されるサービスを、私達は当たり前のように利用しています。

「お金」は国が信用を担保している

私達の生活に必要な「お金」も同様です。最終的には国が信用を担保し、中央銀行が銀行にマネーを供給し、そこで移転された信用を、私達は「お金」として使っています。私たちは無自覚に、国や銀行を信用する事で、お金をお金として使っています。

しかしリーマンショックの時に明らかとなったように、一部の銀行のあくどい商売を誰も止めることができずに世界経済は破綻寸前にまで追い込まれました。しかも、税金でそれらの銀行が救済される始末です。この壮大なリセッションのツケは、何の関係もない一般市民が支払うことになりました。

また国は、預金封鎖や新円切り替えにより、私達の財産をいとも簡単に接収することが可能です。実際に戦後日本でも、このような強制徴収(デフォルト)は過去に実施されています。基本的に私達に選択の自由は無いのです。普段、意識されないだけで。

しかしながら、2009年のビットコイン誕生後は、この世界観に風穴が空きました。人類が今までに手にしたことがない、力です。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、個人個人が、国や企業に対抗できるだけのツールを手にすることが出来たのです。

預金封鎖をされようとも、ビットコインが強制的に接収されることはありません。”異次元の量的緩和”で紙幣がじゃんじゃん刷られ、その価値が減らされることもありません。なぜなら「(国のような)第3者による信用の担保がなくても、価値の保存や交換が出来る」ためです。

多くの人がこの事実に気づき、その価値を認めたからこそ、機関投資家の参入も相次ぎ、ビットコインの価格が上昇しているのではないでしょうか。

トラストレスな社会へ

ビットコインと共に、そしてビットコインにより産み出された「ブロックチェーン」は、第3者の介入なく、価値の交換を可能とします。

例えば、プライバシーを1つの企業に集約せずに分散化させることで成り立つ新しいSNSや、クリエーターが安価・安全に自身の著作権を管理/販売するプラットフォーム、民泊ビジネスなどシェアリングエコノミーの民主化(1企業が個人データを独占しない)など、様々な応用が期待されます。

私達の社会が今まさに、次のステージに向かおうとしています。この時代に巡り会えて、本当にありがたいことだと思います。”今そこにある危機”を脱出しようという時代にやって来たのです。